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2012年4月 3日 (火)

介護現場における記録等に関する私見

昨日、11名の新人職員が当法人に入職しました。入社式を終え、恒例の昼食会では緊張の表情も幾分和らいだようでした。3日間にわたるオリエンテーションが続き、その後配属先での研修が始まります。私が新人の皆さんに送った言葉は、イチロー選手の「ちいさいことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道」という言葉です。一人一人の人生です。いろいろあっても、楽しみながら歩んでください。

ところで、昨日の南日本新聞を見ていたところ気になる文科省関連の記事をみつけました。それは文科省や都道府県及び市区町村の教育委員会が学校を対象に行う様々な調査業務の実態把握に関する記事です。これによると、文科省だけでも学校に対して回答を要する調査が2012年度は28あるそうです。これに市区町村等を含めるとかなりの数になるのでしょう。その回答作業の多くは現場の各教員に任されているとのことです。この見直しで子供と向き合う時間確保につなげたいと記事では伝えています。この記事を読んで「何かがおかしい」と感じる方は多いと思いますが、一面ではこれが現実です。調査の回答等によって子供と向き合う時間が思うように確保できない現実は、学校教育で考えると本末転倒だと思います。

似たような現象は介護現場でも起きています。私は、介護現場にいて調査に関する回答や記録の多さとその煩雑さを常々感じています。調査や記録の重要性を否定しているのではありません。しかし、年間を通じて各事業所や法人に対する調査等を全て対応していたら、それだけに人を配置しなければならない量はあるでしょう。介護現場でも記録物の量が増えていることは間違いありません。4月から始まった介護職員における痰の吸引に関しても当然ですが記録が必要となります。繰り返しますが、私は記録は必要で重要だと考えています。一方で、限られたスタッフ数で限られた勤務時間内でできることも限られているのが現実です。記録物は増える、利用者とは向き合って寄り添う、専門性は高めないといけない、カンファレンスの時間も確保しないと、病院受診もある・・・。なかなか現実はお書物のようにはいかないようです。

ここらで、本当に必要な調査物や記録物について私たちが自分の意見として発言することも必要だと思います。文科省が教員の多忙化の一因となっている事務作業の「仕分け」に着手するように、私たちが一番に向き合うべきは利用していただいている利用者です。その時間が十分に取れないようなら、確保するためにどこか無駄を省くしかありません。それは本当に必要なのか。何のための調査か、誰のための記録か、それをやることで何がどうのように改善するのか。限られた時間をできるだけ有効に使っていきたいと思います。「選択と集中」・・・もう懐かしい言葉になりましたが、今年はこのことにもチャレンジします。 

                                                                    林田

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