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2012年7月 2日 (月)

根拠はなんなのか。

 目に溢れてくるこれは何なのか。悲しみなのか。感謝なのか。自分で感情をコントロールしてるつもりでも、その溢れてくるものがコントロールできない。先日、優花里で人生の幕を引かれた方の葬儀でした。介護の仕事をしていて私は専門家。プロとして見られたいし、そうでないと利用者に失礼な事だとも思っている。 だけど、時としてこの涙の訳が自分自身でも理解できないように介護の場面で、どう説明していいのか。何故うまくいったのか。何故うまくいかなかったのか。その理由、根拠がうまく説明できないことがある。 だけど利用者さんと介護者はしっかり通じ合っていたりする。 介護が専門職として認められるためにどう説明していけばいいのか、数値化された裏付けがあれば、それを根拠に専門的に説明しやすい。だけど、表情やそんなのは数値化できない。できたとしても受け止めたほうの勝手な解釈に過ぎなかったりする。今の笑顔は10割、2割、今の怒りはレベル7なんてことにはならない。マッパーとして認知症ケアマッピングをするうえでは、そんなとこもある意味数値化して示しますが。。。。

介護現場の日常では排泄リズムやパターンを知るための数値化や食事量、水分量、運動の時間やそのレベル、認知症のスクリーニングテスト。扱い方を間違えなければ大切な数値として役割を果たし、専門性を示すものにもなる。数値化された根拠をのこしつつ、最大の根拠である利用者の笑顔や安心した表情。不安なときに手をぎゅっと握ってきてそれに返すこと。数値化の意味はそこにつながるためのものである事がぶれないようにしなければいけないんだよね。と雨上がりの心地よい風にあたりながら思ってました。

P優花里 中園正志

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